パンくずリスト
  • ホーム
  • 昭和
  • 第一次産業からの視点で読み解く昭和

第一次産業からの視点で読み解く昭和

昭和

昭和が楽天市場で徹底的に安い

冬と言えば『こたつ』

昭和の人間なんでやっぱりこたつ派です。 押し入れからこたつと布団を引っ張り出してセッティング~ 一時期、床暖やらホットカーペットに侵食され見る機会が

少なくなりましたが、まったり、ほっこりするにはこたつが一番

夕飯はこたつで一人鍋かな、何味にしようかな~ 最近は鍋の元があるからいろんな味が楽しめますよね その前に買い出ししてこないと(゚_゚i) いってきまーす(^-^)ノ~~

昭和に見る男女の違い

2017年11月7日(tue)
私のブログでは、自転車を使わない旅は季節にかかわらず「冬の旅」のカテゴリーとさせていただいているので、ご承知願いたい。 横浜に来るのは何年ぶりだろう。今回1泊2日の出張で訪れることになったが、久しぶりの横浜に胸が躍る。夕方は早く仕事を終えられそうなので、ベイエリアにある産業遺産を見学したり、横浜中華街で夕食をとりたいと考えている。

 
横浜ランドマークタワー(写真奥)の東側には旧横浜船渠第二ドックがある。明治29年(1896)に竣工した、現存する商船用石造りドックとしては日本最古とされる貴重なものだ。全長約107㍍、上端幅約29㍍、深さ約10㍍の巨大なものだ。現在は、ドックヤードガーデンと銘打って、イベント用に貸し出されている。
  そもそもこの場所に船渠が造られたのは、当時の財界人たちが、横浜の発展にはどのような都市計画を描けばいいのか、イギリス人技師ヘンリー.S.パーマー氏に相談を持ち掛けたことから始まる。彼は、この地に港湾関連施設を整備する必要性を説いたという。(写真/ブラフ積みの石の階段を写す)  旧横浜船渠第二ドックの隣には、第一ドックが水を湛え、帆船日本丸(写真左奥)の係留地として残っている。こちらは第二ドックに遅れ2年後に竣工。当時は全長約168㍍だったが、大正7年(1918)に約204㍍に拡張されている。ちなみに写真奥にみえる橋梁にみえるのが扉船。この扉を閉めてから海水を抜いていた。  桜木町駅から赤レンガ倉庫がある島に向かって汽車道が伸びる。これは高島貨物線の廃線跡で、現在は人気の遊歩道となっている。(写真/汽車道上に架かるプラットトラスの港二号橋梁は明治40年(1907)に架橋されている)
  仕事を終えて、宿泊先の山下公園まで歩くことにする。途中で振り返ると、横浜のまちを象徴する夜景が美しい。先人がこの地に港湾関連施設の建設を勧めたことから、現在の横浜がある。当時の人たちがこの風景をみたら、果たしてどう思うのであろうか。

 港三号橋梁は、元々は明治39年(1906)に架設された北海道の夕張川橋梁のものを使用している。しかし、昭和3年(1928)横浜の旧大岡川橋梁として旧生糸検査所引込線に転用され、平成9年(1997)になって、この地に移設されている。港一号と港二号がアメリカ系トラスなのに対し、港三号橋梁はイギリス系ワーレントラス橋なのだという。 YOKOHAMA 浪漫紀行 Vol.2に続く

関連記事