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昭和大好き!いろんな情報集めちゃぉ

昭和

その昭和に、クリエイティビティはあるか。

  ご訪問ありがとうございます    いつも来る宅配のおっちゃん(わくわくさん似)不在やったら「朝に来たのにおらんかったんやけど( ̄^ ̄)」↑この顔で怒られます 通販の指定配達とかじゃなくサプライズの贈り物とかはさすがに予知して在宅しとくん難しいねんおっちゃん!ほんで、この顔→( ̄^ ̄)はないでおっちゃん!  ・・て心の中で言いながら「すみませんでしたあっ!!」って傾き45度のお辞儀で謝ってますハートちっっっちゃ     どうもこんにちは!YUKIKOです    娘が高速ハイハイで何でも破壊しまくりボンバー(昭和か)なので「クリスマスツリー・・今年も買われへんかなあ」って思ってたんです でも、季節に合わせたインテリアを楽しみたいキラキラのツリーを娘に見せて反応がみたい 

そうモンモンしていたときふと 

おや??屋外対応のツリーやったら破壊されないのでは!   と思いつき、さっそくお迎えすることに   2Dのクリスマスツリーで180cmのこちらをえらびました→ ★★ 
 防水タイプでお庭や玄関においても楽しめるのでこれなら小さな怪獣も手が届くまい!ぐわっはっはっはっは!!! 

 シンプルでいて輝きがほんとうに素敵・・・・ 
白いお方もうっとりしています←ほんまか。
 
 外から帰ってきても庭でキラキラ光っていてすごーく雰囲気がいいです 
枝はワイヤーになっていて自由に広げられるので好きな形にできるしシーズンオフは畳んでコンパクトに収納できます
やっぱりこの特別感は

クリスマスならでは

家の中からの眺めもこれまたうっとりリビングにくつろぎながらついつい眺めちゃい?
諦めかけていたクリスマスツリーを飾れてかーちゃん満足!
   家の中でも少しだけ雰囲気を変えて 
玄関にニトリで購入したツリーを飾りました 
 派手なモノよりやっぱりシンプルが好き!  ちょっとの変化ですがこれだけで一気に季節感がでますね 

うむ、よかよか。  
まだまだ、娘の手の届くところにはツリーを飾られへんけど
家じゅうがクリスマスモードになって夜がさらに楽しい時間になりました   白いお方もうっとり←だからちゃう。
 
Xmasソングをかけながら
GOOD NIGHT・・・?  
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日本から「昭和」が消える日

毎年、今頃の季節にこのことを書いています。
何度も書いていることですが、今現在、とても辛いとか、苦しいという人達に、少しでもエネルギーになればと思い、再度書かせていただきます。
辛い受験勉強に負けそうになっていないか、ということです。

受験勉強は、できないことをできるようにするのですから、多くの場合、かなり辛いことの連続になるはずだと思うのです。

前世紀の昭和時代、受験生の頃、少しも読めない英文を日々眺めていた私は、夢にまで横文字が現れるようになっていました。

一日に目にする文字は、日本語より英文の方が圧倒的に多いという毎日でした。

それくらいやっても、過去問は暗号のような文面でしかないのです。

図書館で独学していた私に、わからない所を質問する人はだれもいません。

自分独りで苦しむしかありませんでした。

午後三時には陽射しの勢いが目に見えて衰え、四時を過ぎるともう夕空が西の方角を染め始めます。

その頃から、私の精神状態は下降線を一気に辿り始め、五時の夕闇を迎えるともう希望はなくなりました。

合格なんかできるわけがない、だって設問の英文すら読めないんだから、などと沈み込む一方です。

夜が怖いという、ほとんど病気のような状態が続いていました。

家を出てから、再び帰宅するまで一言も発しません。

電子辞書などという高度なものの無い時代、世界史の参考書や英和、和英などの辞書が入った大きなショルダーバッグの重みを感じながら、毎日図書館まで無言で通っていました。

その図書館では、下を向いて無言で英文を追う時間が延々と続きました。

わからないものを読むという行為には、ほぼ拷問に近いものがあったと思います。

なぜか息は粗くなり、砂嵐の中を無理に前に進んでいるような、分厚い木の板に錐で穴を開けているような気がして、その不可能の大きさに落ち着いていられなくなるのです。

世界史に出てくる中国関連の漢字用語もなかなか覚えられませんでした。

漢字の書き取りテストがいやで、日本史選択から世界史選択に変えた私には、とにかく苦手でした。

しかし、苦手なんて言っていられません。

志望する大学では、中国史は必須の出題項目でしたから。

できないことを克服することは簡単ではありません。

少しも希望が見えないのに前に進むことは、とても精神力がいることです。

このままやっていても無駄なのではないか、という不安が前進を阻むのです。

できないことが、できないまま終わるのは、多くの場合、このような不安があるからだと思います。

不安に負けて、やるべきことができなくなり、止まってしまうか、やめてしまうかするからです。

つまり、

徒労の結果に終わるかもしれない、

もっと旨い方法があるんだ、こんな方法ではだめだろう、

結局オレには無理なんじゃないか、

というマイナス志向ばかりが沸き起こり、やるべきことを徹底してやらなくなってしまうのです。

その無明の闇に取り巻かれていても、自分で光明を求めて突き進まなければなりません。

自分にできると信じて突き進むか、

追い込まれて、やるしかないから突き進むのか、

どちらでも構いません。

とにかく前へ進むことが求められているのです。

何もしなければ、実力は向上しません。

そんなことはわかりきっていることですが、でも、できるかどうかわからないことに対しては、人は尻込みしやすいものだと思います。

できないものは、できないままにしておく方が楽だからでしょう。

楽な方を選んでしまうのです。

仮に、みんながやらない、或いは、とっても非効率な方法で勉強していても、それを続けている限り、改善されて行きます。

なぜなら、やっている間に実力が高まってきて、やり方の欠点や改良点がみつかるからです。

私の場合、ただ過去問を訳と見較べて読むことや、対訳で読むというあまり論理的でない方法で英文にひたすら接する、ということを延々とただ続けているだけでした。

当時は、どんな参考書が良いのかということは、ネットもなく、書評もなく、進学校ではない私には、ほとんど何も情報がなかったのです。

自分で考えた方法でやるしかありません。 とにかく突き進むばかりだと、無明の闇を行く日々を過ごしていたある日のことでした。

年末の押し詰まったある夜、図書館から帰宅してきたバスを降りて、昭和年代はまだ所々に田舎が残っていた横浜の、とある住宅街の近くにある暗い畑の側を通って、林に突き当たる細い道を歩いている時でした。

あれ、もしかしたら、英文少しは読めてきたし、行けるかもしれないぞ、と心の奥底から泡が立ち上ってくるように感じました。

その感覚はその時だけでしたが、それまで苦しい日々が続いていた、気の狂いそうな重圧に負けてしまいそうな私の精神に、ほんの少しだけ明るさが見えた瞬間でした。

そして、尚もわからない中であがいているうちに、できない荒波に対してアプアプしなくてもすむようになり、勉強していると落ち着いていられるようになったのです。

そして、そんなある日の1月下旬か2月の上旬だったと思います。

明るい午前中の光を浴びて、家の近くにある山を切り崩してできた広場を走っていたときのことです。

もしかしたら、という思いが確かな手応えとともに湧いてきました。

そのとき見ていた、雑草が所々に枯れていた茶色の地面をよく覚えています。

私の受験はあのとき、半分が終わっていたのだと思います。

精神的に、克服できていたからです。
なんて、今は感じられますが、当時はそれからも必死でした。

それが当然だと思いますし、だからなんとかなったのだと思います。

苦しい、辛い、前へ進んでいる気がしない、というのは、前へ進んでいるからでしょう。

前へ進むときの抵抗感を感じているからです。

止まっていれば、楽のなのは間違いありません。

進んで辛くなる必要はありませんが、日々に負けてはいけません。

実力を上げているのだと思い込み、ひたすら突き進んでいただきたいと思います。 辛くても辛くない、苦しくても苦しくない、わからなくてもわかるようになる、きっとできる、合格する、です。

春への坂道を登りきりましょう。
 

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