戦争 予想は裏切り、期待は裏切らない。

戦争三兄弟

君が代、歌詞みないで歌える?

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勿論、唄えますよ。

でも、最近では学校で歌わせ無いのでしょうか?
唄えない若い人が増えている様ですね。
かなり残念です。
丁度、私が裁判をしていた時期(今から約20年前)に日教組等による国歌斉唱に対する反対運動が起こり、裁判が行われていました。
たまたま子供達(当時小学生)が夏休みだったので、社会科見学の一環として裁判所に同行させた事があります。
その時に、別法廷で、その裁判が行われていたので、興味本位で傍聴しました。
正直言って…、
くだらない、どうでも良く無い?
この教師達って暇なの?
もっと生徒の為に尽力する事があるでしょう?と思いました。
娘達にも感想を聞くと、私と異口同音でした。
「君が代」とは「天皇」を指していると解釈されて教え込まれ、その天皇の名の下に命を虫けら同然に奪われた人達や、そのご遺族に配慮した行動なのかも知れません。
が、傍聴していても、原告等(日教組等)が訴えている内容が今一つ、しっかりとした強い主義主張を感じられず、ただ法廷で自分達の存在を世間に知らしめ、承認欲求を満たす事が目的である様にしか見えませんでした。
法廷で陳述している教師達の顔には、注目されている事に対しての快感がありありと漂っていました。
嬉しそうな笑顔が垣間見えたのです。
履き違えている!
法廷はそんな場所ではない、それが私の一番の感想でした。
それに「君が代」に罪は無いと思うのです。
日本軍が国民を洗脳し、懐柔する為に利用しただけだと思うのです。
それは天皇も利用された立場として同じ様なものです。
「君が代」を否定するならば、天皇も槍玉に挙げる覚悟があれば、それなりの主張を認めますが、無難な所に焦点を当てて「逃げ」の姿勢が見える所が、中途半端な主張として不快に感じました。
如何にも反戦主義を大義名分に掲げるポーズを取りながら、その実は日教組等の存在のアピールや、教師としての待遇に対する不満を曝け出していた様にしか見えませんでした。
それって、戦時中に「君が代」を利用した日本軍の手管と、少しも違わないのでは?
ところで、
「君が代」は、いつから国歌になったのでしょう?
そして、誰が作詞したのでしょう?
「君が代」の歌詞は10世紀に編纂(へんさん)された古今和歌集の短歌の一つで、天皇とも戦争とも無縁の歌なんです。

大空に羽ばたけ??!っておじさんが両手を広げてます。可愛い。

曲は、1888年(明治13年)に林廣守氏と奥好義氏により作られました。
歌詞の内容は、子孫や御家繁栄を願うものです。
他国の国歌を見ると、戦争を肯定した内容が多いのに驚かされます。
日本の国歌程、平和なものは無いと思います。どこが問題なのでしょう?
NHKの放送終了時に、日の丸の映像と共に「君が代」が流れますが、とても心が落ち着きます。
ヒーリング効果もあると感じる人は少なくないと思います。
オリンピックで日の丸が流れる時、他国には無い不思議な曲調に癒されるのは、日本人ばかりでなく、外国人にも多いのではないでしょうか?
日本を象徴する「君が代」を、私は誇りに思います。
外国の方も「君が代」に魅了されて日本文化に興味を持ち、訪れて下さっている方も多いのでは無いでしょうか?
「君が代」は、素晴らしい外交官としての役割を果たしていると思います。
「君が代」こそ、千代に八千代に長きに渡って、国歌であり続けて欲しいと願います。
日教組等の方々は、現在の教育体制に不満がある方も多いのでしょう。
大きな勢力に真っ向から挑むのは、命掛けの戦いになると思いますが、無言の盾に隠れ、問題をすり替えては解決になりません。
反旗を翻して戦って下いね。
(^_?)?☆
PS  私の勉強不足、理解不足な部分によって、ご不快になられた方がいらしたら御免なさい。m(__)m
あくまで個人の感想です。

戦争が登場!

救われないボーイズラブ小説を読み終えた
自分の大好きなシリーズの一作で
戦争もの。
時代背景がどうあれ
心の動きとか
そーゆうものがちゃんと書かれてて
好き。
でもファンタジー色もあって
どうせ今回も救われるのだろうと
そんな結末を期待してたけど
そんなことはなかった。
 …
感傷に浸ってしまう時間なのもあって
自分の気持ちを文字に起こしたくなる衝動に駆られる
もやもやとも言えない、なんとも言えない気持ち。
生と死の狭間で
明日死ぬかもしれない中で。
そんな中で起こる人の繋がりってどんなものだろう。
すっごく綿密で
一瞬一瞬、生きているその時が大事。
大事な人が乗る飛行機を
整備する人。
大事な人が整備した飛行機に
乗る人。
帰ってくることをひたすら願う整備士と
大事な人を守りたくて闘うパイロット。
自分は普段
こんなにも濃くて重くて大きいくて多いものが、ぎゅーーーっと詰められた気持ちってのを
誰かに抱いたことはあるのだろうか。
明日死が訪れる、そんな恐怖は感じない。
当たり前のように朝が訪れて
当たり前のように、大事な人たちがいる。
手の届く距離に、いる。
不謹慎かもしれない。
それぐらい圧縮された、中身の濃い気持ちを誰かに抱きたいと思うのは。
生と死が目の前にあるから、そーゆう気持ちをいとも簡単に抱ける(抱かざるを得ないの間違いかな)。
そんな気持ちを、生と死関係なく
ただ抱いてみたいと思うのは。
恋愛とかそーゆう感情以上のものなのかな。
誰かを本気で大事に思うのは。
それは家族なんて言葉も超えて
ある意味究極的なものであって。
性行為が戦地では「契り」と呼ばれていたらしい。
これは本当かどうか分からない。
でも肉体同士が物理的に繋がって
心を通わせる。
それは性的な欲求を超えた感情なのかもしれない。
なにが言いたいかわからなくなってきちゃった。笑
いっつもそう。
なにかを文章にしたくても
この気持ちを、なんとか表現してみたくても
文章にした途端
何が言いたいのか分かんなくなるし
伝わりづらくなる
だから、
深く考えないで読んでほしい
これはただの、言葉の戯れ。
明日もばいとがんばろー。
あと3時間後には家をでなきゃ。
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