戦争が悲惨すぎる件について

戦争を通販サイトで検索、頑張った自分へのご褒美にもいいのではないでしょうか

今回我が家の愛車は元気いっぱい

(車高下げ過ぎ?)

余り疲れる事も無く秋田に到着

見慣れた景色

こんなのどかな見たら戦争なんて起きないと思う
忘れないで居てくれた犬さん
(カワユイ)

早速お出かけしてきました。

暑い!

釣れるな~

ゆらゆら揺れる~

危ない!

危険です

コケリウム
ゆらゆら~

マイナスイオン全開

すっかり綺麗な心になりました

夕方から…墓参り
来年も来ますよと…

今から毎年恒例の温泉

明日は毎年恒例田沢湖かな~1周ドライブ&ハチミツ館

まだ楽しみますよ~

戦争倶楽部

広島に原爆を投下された日、8月6日が私のお誕生日で、

その日のブログに、原爆を作った人たちはどう思っているのかとふと思ったというようなことを書きました。 今日、ブログに星条旗新聞のことを書いて

その中にビュー研究所のことが書かれていたので、その研究所って、

信頼できるんだろうか?等思ったので調べていたら、

この記事に出会いましたので紹介したいと思います。

原爆投下は人体実験でした。 戦争を終わらせるためにではなく、戦争が終わりそうだったから、使ったのです。 実は日本も原爆を完成できるところでしたが

天皇陛下が止めたのです。 それが正しかったかどうかはわかりません。 

アメリカは平気で人体実験をし、日本にジェノサイドをしたのに、東京裁判という

違法なもので裁いたのです。 その東京裁判で、「原爆投下を命令した者の

名前を上げることができる等」と語った弁護人もいました。 でも勝者は裁かれなかった。 全てを日本のせいにして、アメリカはヒーローとなった。 

未だに広島には人体実験の施設があります。

アメリカでも未だに真珠湾攻撃は奇襲だったとなっていますが、大嘘です!!

アメリカは知っていたのです。戦争をしたくて、自国民を見殺しにしたのです。

奇襲があるかもしれないと訴えた軍人もいたのに、もみ消されました。 

日本は人種的差別撤廃提案(じんしゅてきさべつてっぱいていあん Racial Equality Proposal)を 第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において主張した国です。 欧米、オーストラリアなどが強固に反対し否決されたのです。

国際会議において人種差別撤廃を明確に主張した国は日本が世界で最初です。

日本は素晴らしい国です。 ヒーローが大好きなアメリカにとって、日本がヒーローでは嫌なのです。 

と、話が逸れましたが、アメリカやシナなどのプロパガンダや、

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムにすっかり未だに騙され、

自虐史観しか持てない日本人や日系人が結構いるのでげんなりします。

「自分のしたことが許せない」原爆開発に関わった患者さんの最期

投稿日: 

アメリカのホスピスで音楽療法士として働くあいだ、戦争を経験した多くの人々に出会った。

沖縄戦を生きのび、戦後アメリカに移住した日本人女性は、自らの死を目の前にしたとき、過去の記憶にとらわれてしまった。

フィリピン戦で親友を失い、戦後焼け野原になった広島を見た退役軍人は、「戦争があったことを忘れないでくれ」と涙で訴えた。

サイパン戦で日本兵を殺した男性は、死ぬ前にその罪悪感を打ち明けた。

私にはもう一人、忘れられない人がいる。

サムという93歳の患者さんだ。彼は末期の大腸がんでホスピス病棟に入院していた。小柄でフレンドリーな彼は、いつも笑顔にあふれていた。ビックバンドの曲が大好きで、特に”Blue Moon” や “My Way”などの名曲がお気に入りだ。

ある日サムは、イタリアの民謡が聞きたいと言った。彼はイタリア系アメリカ人だったのだ。

唯一知っていた「サンタ・ルチア」というナポリの民謡を唄うと、サムは満足そうな笑顔を浮かべた。

「いい曲だ。僕はイタリア系であることを誇りに思っているんだ。ところで、君はどこから来たの?」

日本人であることを告げると、サムは驚いた顔で私を見た。そして、突然泣きだしたのだ。しばらくの沈黙のあと、彼は言った。

「原爆開発に関わってしまったんだ……。犠牲になった子どもたちや、罪のない人たちのことを想うと……」

サムは目をそらし、首を左右に振った。

「誇りには思ってない」

彼は声をあげて泣いた。

第2次世界大戦中、アメリカはイギリスとカナダとともに原爆を開発し製造した。いわゆる「マンハッタン計画」である。1939年にはじまったこの計画には、13万人以上が関わったと言われる。サムもそのひとりだったのだ。

「知らなかったんだ。あんなことになるとは……、知らなかった」

サムは枕から頭を持ち上げ、訴えるような目で私を見た。泣きながら、彼の貧弱な体が震えた。

マンハッタン計画は、言うまでもなく極秘の計画であった。それに携わったほとんどの人たちは、原爆開発や製造に関わっているとは知らずに働いていたのだ。広島や長崎に原爆が落とされるまで、マンハッタン計画の内容を知っていたのはごく限られた人物だった。

何と言ったらいいのかわからず、静かにサムの隣に座っていると、彼が生涯抱えてきた苦悩と悲しみが伝わってきた。

そのときふと、中学校の修学旅行で行った広島を思い出した。青空の広がる夏の日。私たちは汗だくで原爆ドームの前に立っていた。灰色のスーツを着た被爆者の女性が、表情を変えずに私たちに語りかけた。

「原爆の直後、あまりにも死者が多くて遺体を全部かたづけるのは無理でした。あなたたちが立っているそのコンクリートの下には、今でもたくさんの死者が眠っているんです」

原爆ドームで見た光景は、私の記憶に一生残るだろう。階段に残された人の影。溶けて壁にくっついた皮膚。

私はサムとの出会いによって、悲劇のもう一面を見た。原爆開発に携わったという罪悪感に悩まされ続けたアメリカ人。

サムはあまりの動揺のため、息を切らしていた。

「音楽が聴きたい。何か唄って」

ギターを弾きながら、サムの大好きな”Blue Moon”を唄った。彼はようやく頭を枕に下ろした。歌とともに、彼の呼吸が少しずつ穏やかになっていった。

その後、サムが亡くなるまで、私は彼を訪問した。死期が近づくほど、サムの罪悪感や悲しみは深まっていった。彼にはもう、以前のような笑顔はなくなっていた。

ご飯も食べなくなり、一日のほとんどを寝て過ごすようになった彼は、ある日私に言った。

「僕は自分のしたことが許せないんだ」

そして、私を見るのがつらいかのように、目を閉じた。

戦争が最高の解決策なんて、とんでもないわ。
この前の戦争で勝った者は誰もいなかったし、この次の戦争だって、誰も勝ちはしないのよ。

~エレノア・ルーズベルト

(「佐藤由美子の
音楽療法日記」より転載)

ちなみに、エレノア・ルーズベルトさんは、

にっくき!!アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの

奥さんです。

有名なこの動画も特に自虐史観の方に、見ていただきたいです。

The fog of War – Lesson 5 HQ (日本語字幕)

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